大阪地方裁判所 平成2年(ヨ)1621号 決定 1991年3月29日
申請人
西田博志
右申請人代理人弁護士
浦功
同
菅充行
同
高瀬久美子
被申請人
株式会社讀宣
右代表者代表取締役
冨田明正
右被申請人代理人弁護士
大藏永康
同
井上元
同
塩野隆史
主文
本件申請を却下する。
申請費用は、申請人の負担とする。
理由
第一申請の趣旨
一 被申請人が申請人に対して平成二年一月九日付でした被申請人配送部への配置転換命令の効力を仮に停止する(なお、申請人は、この申請の趣旨の部分は、申請人が右配置転換命令にしたがって被申請人配送部の業務に従事する義務のないことを仮に確認することを求める趣旨を含む旨述べた。)。
二 申請人が被申請人情報システム室システム課に所属し、コンピューター業務に従事する地位を有することを仮に定める。
三 申請費用は、被申請人の負担とする。
第二当裁判所の判断
一 当事者間に争いのない事実および疎明と審尋の全趣旨によって認められる事実をあわせると、まず、次のとおりである。
1 被申請人は、広告代理業務等を営業をするいわゆる広告代理店と呼ばれる株式会社である。
2 申請人は、昭和六〇年三月、被申請人に雇用され、経理部システム課に配属された。
3 昭和六二年二月ごろ、システム課は総務部に所属することになった。
4 昭和六三年七月ごろ、総務部システム課から営業局営業システム課が分離独立した。その後さらに平成元年中に、二つのシステム課は一つとなり、かつ総務部および営業局からも独立した情報システム室システム課となって、現在にいたっている。
5 申請人は、昭和六三年五月ごろ、当時の総務部システム課に所属したまま、総務部人事課並びに庶務課の職務を担当することとされた。同年九月ごろに営業システム課が分離独立したさい、申請人は、総務部システム課に残されて、引き続き人事課および庶務課の職務担当とされた。さらに二つのシステム課が情報システム室システム課となったさい、申請人も同システム課所属となったが、その担当する職務は、従来と同様に総務部人事課および庶務課に属するものとされた。
6 被申請人は、平成二年一月九日、ただし辞令上は同月一〇日付で、申請人に対し、申請人を情報システム室システム課から営業局配送部に配置転換することを命じた(以下、同命令を本件配転命令という。)。
配送部においては、当初、申請人を同部業務課に配置したが、同年二月二日に同部連絡課に配置換えした。
二 申請人は、本件配転命令の効力を、次の1にかかげる労働契約違反、および3に掲げる人事権濫用の理由により争い、被申請人は、同2に掲げるとおり本件配転命令については申請人の同意を得た旨主張する。以下、順次検討する。
1 申請人は、被申請人においてはシステム課において行っているコンピューターの業務に従事する専門技術者(システムエンジニア)として申請人を採用したので、申請人をシステム課から異職種の配送部に配置換えする本件配転命令は、労働契約違反で無効である旨主張する。
疎明によれば、次のとおり認められる。
被申請人は、昭和六〇年三月当時、システム課が同課のコンピューターの業務に従事する従業員を必要としていたことから、同業務について経験と技能を有する申請人を、同課に所属させることを予定して採用した。しかし、被申請人は、採用にあたり、被申請人に対して、コンピューターの専門技術者としてコンピューターに関する業務にのみ専属的に従事させることを約したような事情はない。被申請人の就業規則には、業務上の都合によって従業員に職種の転換、変更を命じることができる旨の条項があるが、被申請人は、他の従業員を採用する場合と同様に、申請人に対して同条項を含む就業規則を示し、申請人から就業規則を遵守して勤務する旨の誓約を得て申請人を採用した。被申請人の社内には、コンピューターの業務に関して、通商産業省の実施する試験に合格して情報処理技術者の資格を有する者など、申請人(申請人は同資格を取得していない。)と同等ないしそれ以上の技能と経験を有する従業員がおり、被申請人は従来からそれらの者をシステム課に配属しているが、採用にあたってまたはその後に、それらの者の従事する業務をコンピューターの専門業務に特定したことは一切なく、実際にもほとんどの者を異職種の部門に配置転換し、その配置転換に関して紛争が生じたことはこれまでなかった。被申請人が、それらの者に対して、採用時およびその後にその従事する業務をコンピューターに関するものに限定したり、異職種への配置転換はしないことを特約したようなことはなく、申請人に対しても同様である。被申請人は申請人に対して昭和六三年途中まで業務手当の名目で月額五〇〇〇円を支給したが、これは申請人を専門職として採用したことによる特別手当ではなく、申請人がいわゆる中途採用者であったことから、同等の学歴の従業員との賃金の格差を若干でも調整するために支給したものである。本件配転命令後に申請人が被申請人に提出した本件配転命令に対する不服とその理由を記した後記の書面(<証拠略>)にも、後記のような他の理由は詳しく述べているのに、本件配転命令がシステム課から異職種の部門への配置転換を命じたものであって労働契約違反であることを指摘した部分はないのである。
以上のとおり認められる。これによれば、申請人が採用時以後本件配転命令まで約六年間システム課で勤務してきたことを考慮しても、本件配転命令を労働契約違反であるとすることはできない。
2 一方、被申請人は、本件配転命令については申請人の同意を得た旨主張する。
疎明を総合しても、本件配転命令について申請人が明示的に同意したことを認めるには至らない。しかし、疎明によると、申請人は、被申請人から平成元年一二月二八日にシステム課から配置転換する旨の内示をうけた時点では、システム課で勤務できないというのは納得しがたい気持ちである旨ものべたものの、配置転換に従わないといった趣旨のことはいわず、次いで平成二年一月九日に本件配転命令の告知をうけてからのちは、本件配転命令に対する不服とその理由を記載した「一月一〇日付の西田博志異動に関する意見書」と題する書面(<証拠略>)を被申請人に提出した同年三月五日までの約二か月間、被申請人に対して本件配転命令について異議、不服を申し出ることもなく、配送部における勤務を続けていたこと、とくに右書面提出後にはかなり頻繁に被申請人に書面、電話などで異議、不服とその理由を明らかにしているのに、右二か月間には書面はもとより口頭でも異議、不服を申し出てはいないことが認められ、これによれば、申請人は本件配転命令について黙示的に同意したのではないかとみられなくもない。しかしまた、疎明によると、前記意見書において、申請人は、申請人の上司のシステム課課長代理船津和彦を含む被申請人社内の派閥がその派閥に属する従業員でシステム課を独占するため、申請人を疎外、排除する目的で本件配転命令に及んだ旨を述べているのであるが、本件配転命令を告知した平成二年一月九日の終業後に、人事課長見口聡が送別会の名目で申請人と酒食を共にしたさいにも、申請人は、船津課長代理に対する強い反発と不信感を明らかにして本件配転命令に対する不満の気持ちを漏らしていたことが認められるのであって、これと前記のとおり配置転換の内示のさいに申請人がシステム課から離れることに納得しない態度も示していたことをあわせてみると、申請人は、明確を欠くところはあるものの、本件配転命令告知の当時から、それに対する異議、不服の意思を被申請人に示していたとみられなくもない。
以上の事情に加えて、被申請人が本件配転命令を告知されたそのときに具体的にどのように応答したのかが疎明を総合しても明らかにならない本件においては、申請人が本件配転命令について同意したかどうかを決めることはできないというほかなく、被申請人の右同意の主張は、結局疎明がなお足りないことになるので、採用することができない。
3 次に、本件配転命令は人事権の濫用であって無効である旨の申請人の主張について判断する。
疎明によると、次のとおり認められる。
昭和六〇年三月に被申請人に入社してシステム課に配属された申請人は、コンピューターの業務にかなりの能力と経験があり、また経理事務についても知識を有していたため、同課の業務遂行にそれなりの貢献をしたが、自己の経験や考え方に固執しすぎるところがあり、申請人の入社にさいしての紹介者であった同課課長代理望月雅久の指揮監督には従ったものの、同課所属の他の従業員とは協調して仕事をする姿勢に欠け、自己の意見にこだわって他と衝突することも多かった。とくに、申請人は、昭和六二年五月に望月課長(六一年一月に課長に昇進)が他に転出したのちの六二年九月に他から課長代理としてシステム課に来た船津和彦とは極端に折り合いが悪く、船津を上司として信頼しないばかりか、船津がその派閥に属するような者をシステム課に集めその派閥に属しない申請人らを排除しようとしていると感じて船津に反発したことから、船津の指揮に従って業務を遂行することに消極的になることが多く、次第に同課において浮き上がった存在になってきた。そうしたことから、昭和六三年五月ごろ以降、申請人は、システム課の他の従業員とは別に総務部人事課、庶務部の業務を担当させられることになり、さらにその後、システム課が営業局に所属するものと総務部に所属するものに分離したときには申請人だけが総務部システム課に残され、次いで両システム課が情報システム室システム課に統合されてのちも、申請人は、同システム課所属とはされたものの、それまでと同じく他の同課所属の従業員とは別に総務部の業務に従事することとされた。しかし、申請人は、総務部人事課、庶務課の従業員とも折り合いが悪く、それら従業員から敬遠され、あまり仕事も与えられないまま過ごす日が多くなった。
被申請人においては、右のように申請人がシステム課でも総務部でもほとんど孤立した状態になり、満足に仕事をしていないのを見て、たまたま所属従業員の補充を希望していた配送部に申請人を配置転換することを決めて、本件配転命令に及んだものである。しかし、申請人が配送部において従事することを命じられた業務は、フォークリフトの操作運転といった過去に申請人が全く経験していない作業や、一〇キログラム程度の重量のある折り込み広告の束を手作業で荷受け、品揃えするといった申請人が従来従事してきた事務作業とは異質の現場作業を含んでいたため、申請人はその業務になじめず、筋膜性腰痛にかかったこともあって、約三週間後の平成二年二月二日に単純な事務作業を主として行う連絡課に配置換えされたが、申請人は、ここでも上司や他の従業員と協調できない状態である。
以上のとおり認められる。
ところで、前記1で認定した従業員の配置転換に関する被申請人の就業規則の定めは、配置転換ができる場合を業務上の必要がある場合に限定したものと解されるが、さらに、業務上の必要がある場合であっても、その配置転換が、不当な動機、目的によってされたとき、または労働者に対して通常受忍すべき程度をこえる損害を与えるものであるときは、権利濫用(人事権の濫用)として無効になるというべきである。
この考え方に立って本件配転命令についてみると、前記認定のとおり申請人は本件配転命令が申請人のいう派閥に属しない従業員をシステム課から排除するためにされたと感じているのであるが、客観的に申請人の感じたような事実があったことは疎明を総合しても認められず、むしろ疎明によれば申請人の右のような感じ方は誤解に基づくものとうかがえる(たとえば、申請人は、船津課長代理の派閥に属しない望月課長や他の複数の従業員がシステム課から他に転出し、また被申請人を退職して他社に移った旨をいうが、疎明によれば、望月課長は通常の人事異動による異動に応じたものであり、また、従業員が退職したのは、システム課がコンピューターを利用してする業務の方針を従来の自社開発を主としたものから外注を中心とするものに変えて同課における業務が縮小した機会に、コンピューターの技術と能力をより発揮することができる他社からのスカウトに応じたことによるものであり、申請人のいうような派閥人事の結果ではないことが認められる。)。しかし同時に、前記認定事実にさらに疎明を総合しても、本件配転命令の実質的な理由としては、申請人がシステム課および総務部の従業員と協調せず、他から敬遠されていた、ということが認められるだけであり、それ以外には、たとえば、システム課の業務量や業務内容の変化によって同課に剰員を生じていたとか、申請人の能力、技術が低下してシステム課のコンピューター業務に適さないものになったといったような、配置転換の理由となりうる事情があることは、疎明を総合しても認められない。一方、配転先である配送部の業務はシステム課の業務とは異種、異質のものであって、かつその業務に申請人は適性を欠いていることが、前記認定事実によって認められる。申請人が他の従業員との協調性を欠くというだけでは、業務内容が異種の部門への配置転換をする業務上の必要があったとすることは困難であるし、さらに、被申請人に配送部の希望にしたがった配置転換の必要があったとしても、実質的にはシステム課内で敬遠されているというだけの理由から配送部の業務に適性のない申請人をその配置転換の対象としたのは、合理的でない人選というべきであって、本件配転命令は、課内に置いておくといわば扱いにくい申請人をできれば課外に出したいというシステム課の暗黙の期待を被申請人が安易に容認したことによるものとみることができる。
以上を総合すると、本件配転命令は、(前記2のとおり申請人が同意したのではないかとの疑問がなお残るものの、)人事権の濫用として無効とすべき疑いが強いものであると一応いえる。
三 以上により、被保全権利は一応認められるといえるので、保全の必要性について判断する。
1 疎明と審尋の全趣旨によると、次のとおり認定判断することができる。
すなわち、申請人は、配送部においても、システム課当時と変わらない支給基準にしたがって日常の生計を維持できる程度の賃金の支給を受けており(本件配転命令直後の平成二年二月の支給月額中の基本給と調整手当の合計額は二三万二四〇〇円であり、配置転換前と変わらない。なお、同月の支給総額は二九万三二九〇円である。)、この点での不利益はない。もっとも、申請人は配送部で残業がほとんどできなくなったことによって時間外手当が得られなくなり、また賞与のうち被申請人がその査定によって決めうる額を零または最低額としたことによって、申請人に対する賞与の支給額がシステム課当時より減ったという事情はあるが、それが仮に被申請人の不当な措置に基づくものであって別途に回復を求めることが認められるとしても、その減収によって申請人の日常の生計の維持が著しく困難になるほどの影響が生じているとまではいえない。
また、配置転換の結果、申請人は通勤に従来より長時間を要することになったが、被申請人には他にも同程度の時間をかけて通勤している従業員もおり、通勤時間の点で、申請人が受忍できないほどの不利益を被ることになったとはいえない。
以上の点で、申請人と被申請人との間に本件配転命令を無効とすることを前提とした権利義務の関係を仮に形成する緊急の必要は認められないといえる。
2 さらに、申請人が配送部にいたままであると、たしかに申請人のいうように、平成三年初めにシステム課に導入される新機種のコンピューターによる業務に必要な技術の習得に困難をきたし、技能の低下をもたらすことがあることが一応考えられる。しかし、そのような技能低下によって申請人が損害を被ることがあるとしても、損害賠償の方法によって被害の回復を図るのでは足りず、本件のような仮処分によって技能の低下を緊急に回避する必要があるといえるためには、被申請人が申請人に対して申請人をコンピューターの専門技術者としてシステム課の業務にのみ専従させる義務を負うといった特別の事情のある場合に限られるというべきである。ところが本件においては、前記二1のとおり、被申請人が申請人を同課のコンピューターの業務に専従させることを約したことはなく、配置転換がありうることは申請人も承知していたのであるから、被申請人が申請人に対して現在および将来におけるシステム課のコンピューターによる業務遂行に必要な技能をつねに維持するよう配慮し、そのための適切な措置を講じる義務があるとまではいえず、その義務があることを前提として右のような本件配転命令の無効を前提とする権利義務関係形成の緊急の必要があるとすることもできない。加えて、疎明によると、申請人は、総務部関係の業務を担当させられていたため、右の新機種のコンピューターの導入に関する作業にはとくに関与しておらず、本件配転命令の当時も同じであることが認められるのであるが、申請人のいう技能低下を回避するために、仮処分によって申請人が右コンピューターによる業務に従事することができる状態を形成するとすれば、本件配転命令の当時の現状維持以上のことを命じることになって相当ではないというべきであるから、この点においても本件仮処分の必要性をみとめることが困難であるというほかない。
3 その他、本件申請に基づく仮処分を命じなければならないほどの緊急の必要があることは、疎明を総合しても認められない。
四 以上のとおりであって、本件申請は、保全の必要性について疎明がなく、理由がないので、これを却下することとする。
(裁判官 岨野悌介)